From 4796d7a4fc92b7d7cd478ab52194973c0241557d Mon Sep 17 00:00:00 2001 From: Misa0716 Date: Sun, 12 Jul 2015 21:21:47 +0900 Subject: [PATCH] =?UTF-8?q?Update=20=E6=84=9F=E6=83=B3=E6=96=87.txt?= MIME-Version: 1.0 Content-Type: text/plain; charset=UTF-8 Content-Transfer-Encoding: 8bit --- "\346\204\237\346\203\263\346\226\207.txt" | 4 ++++ 1 file changed, 4 insertions(+) diff --git "a/\346\204\237\346\203\263\346\226\207.txt" "b/\346\204\237\346\203\263\346\226\207.txt" index 5f54091..1883201 100644 --- "a/\346\204\237\346\203\263\346\226\207.txt" +++ "b/\346\204\237\346\203\263\346\226\207.txt" @@ -6,3 +6,7 @@ 現代に至るまでの経済成長や科学技術の進歩は、情報の蓄積があってこそ実現できたものだ。しかし創作活動による著作権は富を生むため、多くの場合、創作者は著作の自由な改変を許可したくない。そのような創作者を法律は守る形で著作権を尊重している。過度の著作権保護は文明の進歩を遅らせると思うので避けるべきだ。 伊藤聡士 + +第二章 創造のルールを考える + +フリーカルチャーの目的は、不要な許可の必要性を排し個々人が自由に互いの創作物を利用し合う状況を作り出すこと、とあるが、許可の必要不必要の境界線ははっきり決めるべきではないだろうか。フェアユースでは、社会的良識や経済的価値判断を基準に線引きがされているようだが、それらは曖昧である。フリーカルチャーは確かに利用者間の無駄な労力を低減させ、創作物をより発展的なものに変えていくよいものかもしれない。しかし、ある程度明確な線引きはされるべきだ。